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【史跡高松城跡 玉藻公園の沿革】                     このページのトップに戻る
1587年 天正15年 豊臣秀吉から讃岐一国を与えられ、国主として生駒親正が入府
1588年 天正16年 築城に着手。数年の歳月を費やして完成 生駒氏の治世は4代54年間
続く
1640年 寛永17年 生駒騒動といわれる御家騒動により、讃岐一国を召し上げられ出羽の国(秋田県)
矢島一万石に移される 
1642年 寛永19年 常陸国(茨城県)下館藩主だった※松平ョ重が東讃岐12万石の城主として入城
松平氏の治世は11代228年間にわたり、高松は松平氏の居城として栄えた
(※徳川家康の孫で、徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたる 将軍家と近親の関係に
あった
頼重は中国・四国の監察役を命じられていたといわれています)
1869年 明治 2年 版籍奉還により廃城。一時、政府の所管に
1890年 明治23年 城跡の一部が松平家に払い下げになる
1945年 昭和20年 松平家から財団法人松平公益会に継承される
1954年 昭和29年 高松市が譲り受ける
1955年 昭和30年 一般に開放される (5月5日が一般開放記念日)3月2日、国の史跡に指定された
1966年 昭和41年 彦根城と姉妹城縁組 第11代藩主頼聰の奥方として、彦根藩主であった井伊直弼の
次女千代姫が輿入れしている縁から
現在の面積は約8万u(約2万4千坪)で、往時の城域約66万u(約20万坪)と比べ約8分の1ほどの広さである。

 
【歴代城主一覧表】                              このページのトップに戻る
氏名 世代 城 主 就 封 治 世 寿 墓 所



初代 ちかまさ 天正15年8月
 (1587年)
14年 78歳 こうけんじ
親正 弘憲寺
(市内錦町)
2代 かずまさ 慶長6年5月
 (1601年)
8年 56歳 ほうせんじ
一正 法泉寺
(市内番町)
3代 まさとし 慶長15年3月
 (1610年)
12年 36歳 ほうせんじ
正俊 法泉寺
(市内番町)
4代 たかとし 元和7年6月
 (1621年)
19年 48歳 りゅうげんじ
高俊 竜源寺
(秋田県矢島町)




初代 よりしげ 寛永19年2月
 (1642年)
32年 74歳 ほうねんじ
ョ重 法然寺
(市内仏生山町)
2代 よりつね 延宝元年2月
 (1673年)
32年 53歳 れいしじ
ョ常 霊芝寺
(志度町)
3代 よりとよ 宝永元年2月
 (1704年)
32年 56歳 法然寺
ョ豊
4代 よりたけ 享保20年12月
 (1735年)
5年 20歳 法然寺
ョ桓
5代 よりたか 元文4年9月
 (1739年)
33年 61歳 法然寺
ョ恭
6代 よりざね 明和8年8月
 (1771年)
10年 38歳 法然寺
ョ眞
7代 よりおき 安永9年4月
 (1780年)
13年 46歳 法然寺
ョ起
8代 よりのり 寛政4年9月
 (1792年)
30年 55歳 法然寺
ョ儀
9代 よりひろ 文政4年5月
 (1821年)
22年 45歳 霊芝寺
ョ恕
10代 よりたね 天保13年5月
 (1842年)
20年 68歳 でんつういん
ョ胤 伝通院
(東京都)
11代 よりとし 文久元年7月
 (1861年)
11年 70歳 法然寺
ョ聰

 

文化財指定                              このページのトップに戻る

 重要文化財指定  昭和25年8月29日  重要文化財高松城四棟
    ・北之丸月見櫓
    ・北之丸水手御門
    ・北之丸渡櫓
    ・旧東之丸艮櫓
 史跡指定  昭和30年3月2日  名称:高松城跡
 文化財保護委員会告示第22号
  文化財保護法
 重要文化財指定  平成24年7月9日   ・披雲閣(旧松平家高松別邸)三棟
    
(本館・本館付倉庫・倉庫)
  名勝指定  平成25年10月17日   
  ・披雲閣庭園



史跡高松城跡 玉藻公園 (指定管理者・香川県造園事業協同組合)

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